お茶に、育ててもらったからね。
ひらの園 5代目 平野昇吾
掛川に生まれて、大学から都会に出た。サラリーマンとして働いて帰ってきて、家業であるお茶を手伝いはじめたのが14年前。なにも幼い頃から継ぎたいと思っていたわけじゃない。昔ほど継ぐことに抵抗を感じなくなったからというくらいの気持ちだった。はじめてみると、革靴を履いていた足で足袋を履いて土の上を歩く感触とか、茶園で今日季節が変わったなという感覚とか。毎日身体を動かして自然の中で働くっていいな、って。いつの間にか、お茶の世界にはまっていた。
ひとくちにお茶といっても、同じ掛川でも場所によって土地の特性があってね。北側、山の方は土地の力が強くてお茶づくりには向いているのだけど、うちの茶畑は、掛川の南の方。人の力でコツコツ積み上げていくような、北部の土地環境のもつ力に比べれば不利な環境にある。昔なら肥料をたくさんやればよかったけれど、茶の相場が下がり、肥料の値段が上がってしまった今はそうもできない。それでも、お茶に被せ(収穫前の数日、日光を遮蔽すること)をしたり、堆肥や山草を入れて土作りをしたり、茶の木を出来る範囲で植え替えたりして工夫して努力して。いいお茶をつくれるように向き合って、与えられた環境の中で一生懸命やる。それだけ。
自分がこの仕事に就いてからの14年で、お茶を取り巻く環境はすっかり変わった。お茶を淹れる家庭が少なくなって、需要は減った。収穫に出れば一面茶畑だったこのあたりの景色も、今は耕作が放棄された荒れた土地もかなり増えてきた。毎年、一人、またひとり、今年はあの人がお茶を辞めるらしい、と親父から聞く。継ごうという若い人もほとんどいない。
お茶一本で食べていきたいと考えていたこともあったけど今はイチゴや柑橘類、ブルーベリーに干し芋、キッチンカーもはじめて6本柱になった。新しくはじめたことをキッチンカーに集約してお茶をいろんな人に楽しんでもらえる機会を増やしていきたい。お茶も、深蒸し茶だけでなく和紅茶や烏龍茶を3年前からつくりはじめていて、試行錯誤しながらいいものができはじめている。
お茶を続けていくために、と様々なことに手をだしてきたけれど、やってみると、お茶というものも、広い世界の中の一つ。今まで見えていなかった角度から改めてお茶が見えてきてやってみてよかったと思う。
親父やお袋が、お茶で自分を育ててくれた。その恩を返したいと思う。毎年新茶を待ってくれている人がいて、遠方から修学旅行で来てくれた子が数年経ってはるばる寄り道してくれることもあった。10年間、東京のファーマーズマーケットにも通い続け、自分で作ったお茶を自分でお客さんに届けた。お客さんの顔が見えると、お茶をやっていてよかったな、この人のためにまた畑仕事を頑張ろうと思う。
また10年もすれば、この土地の風景もお茶のあり方ももっと変わっていく。それでもお茶を残せるようにやれることをいろいろ、やってみるよ。
茶農家ひらの園
〒436-0012 静岡県掛川市上内田2421
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